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【海の記念日】近代日本を指導した天皇の航海を記念した日

7月20日は以前は「国民の祝日」の「海の日」であった他、その由来である「海の記念日」でもあります。明治9年(1876年)7月20日、近代日本を指導した明治天皇が汽船「明治丸」での航海から帰着しました。

”海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う”として制定された「海の日」は、現在は7月の第3月曜日となっていますが、元々は「海の記念日」に由来して7月20日でした。

第122代天皇・明治は、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)に京都で誕生しました。黒船(アメリカのペリーが率いる海軍東インド艦隊の蒸気船2隻を含む艦船4隻)が来航し、幕末が始まる前年のことで、この時すでに黒船→海というように、海との因縁があったようです。

慶応2年12月25日(1867年1月30日)、先代の孝明天皇が崩御すると、翌年1月9日(1867年2月13日)に14才で皇位に就きます。そして、その年の10月15日(1867年11月10日)に徳川慶喜が大政奉還し、12月9日(1868年1月3日)に新政府が樹立されます。

慶応4年1月3日(1868年1月27日)、慶喜の旧幕府軍と新政府軍が京都南郊で衝突し、「鳥羽・伏見の戦い」が勃発します。8日になって慶喜は、戦いに敗れたと知った開陽丸(江戸幕府の軍艦)艦長・榎本武揚を置いて、その艦で江戸へと逃げ帰ってしましました。

明治元年3月14日(1868年4月6日)、「五箇条の御誓文」を発布して新政府の基本方針を表明されます。10月13日に初めて明治天皇は江戸(この日東京に改称)に行幸し、一旦は京都に還幸するものの、翌年に再び行幸してからは崩御するまで東京に住み続けるのです。

明治天皇の地方巡幸は、明治5年(大阪・中国・西国)・明治9年(東北)・明治11年(北陸道・東海道)・明治13年(山梨県・三重県・京都府)・明治18年(山陽道)の5回行なわれています。

明治9年(1876年)6月2日から行われた東北巡幸では、それまでの軍艦ではなく灯台巡視の汽船「明治丸」が使われました。巡幸を終えた明治天皇を乗せた「明治丸」が横浜港に帰着したのが、7月20日だったのです。

昭和16年(1941年)、大阪商船(海運会社)や海運自治連盟に深く関わってきた時の逓信大臣・村田省蔵が、この「7月20日」を「海の記念日」とすることを提唱し、制定されることとなったのでした。

ちなみに、「明治丸」は東京商船学校(現東京海洋学校)の練習船として活躍した後、東京海洋大学越中島キャンパスに保存されています。

7月20日の出来事としては、ティムール朝がオスマン朝に勝利(アンカラの戦い・1402年)、井伊直孝らによる大奥の不用建物の取り壊し(1651年→慶安4年6月3日)、コロンビアの独立(1810年)、「国民の祝日に関する法律」の公布・施行(1948年)などがあります。

ちなみに7月20日は旧「海の日」・「海の記念日」の他に、「ハンバーガーの日」・「Tシャツの日」・「修学旅行の日」・「ファクシミリの日」・「勤労青少年の日」・「頭髪の日」・「鉄道電車バスの日」・「マイカーチェックデー」・「ワインの日」などに設定されています。

【薬の日】この日、初の女性天皇が「薬狩り」を行なった!

5月5日は「国民の祝日」の「こどもの日」である他、「薬の日」でもあります。推古天皇19年5月5日(611年6月23日)、初の女性天皇・推古が、現在の奈良県兎田野(うだの)で「薬狩り」を行ないました。

平成24年(2014年)7月末で解散してしまいましたが、医薬品小売業者の事業改善・発展を図っていた「全国医薬品小売商業組合連合会」が、昭和62年(1987年)に「薬の日」を制定しました。推古天皇が百官を率いて、鹿茸(ろくじょう・鹿の若い角)や薬草を採取した「薬狩り」の日である、「薬日(くすりび)」に因んだものです。

「薬狩り」とは「競い狩り」とも言い、旧暦の5月5日に山野に出て、薬草を採集した行事のことです。

「薬日」の由来は、「薬狩り」をした日という説の他、端午の節句(現在の「こどもの日」)に、柱などに種々の香料を詰めた袋に薬草・造花を付けて、長い5色の糸で飾った「薬玉(くすだま)」を掛けるという中国から伝わった風習とも言われています。

推古天皇が採取したとされる「鹿茸」というのは、強壮や強精作用・鎮痛作用を持つ生薬で、薬性を表わす五気は”温(おん)”、その味・五味は”甘(かん)”です。目のかすみ・ふらつき・めまい・耳鳴り・腰膝の脆弱・インポテンツ・四肢のしびれ感・不眠・低血圧症・慢性的虚損・自律神経失調症・更年期障害などの症状にあいます。

推古天皇が採取した薬草は、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)などが多かったようで、これらの薬草は独特の強い香りを放ち、お風呂に入れると疫病や邪気を払うことができると考えられていました。このことから、子供の成長と健康を願って、現在でも「こどもの日」の風習として残っているのです。

岐阜県本巣市に本社のある、研究開発型原料メーカー「一丸ファルコス株式会社」は、推古天皇の「薬狩り」をした日に因んで、5月5日を「植物エキスの日」に制定しました。植物エキスの優れた有用性を知って、広く活用してもらおうと言うのが目的です。

薬剤師・薬局の社会的役割と責任を果たすために、地域社会づくりに貢献する一般社団法人「日本コミュニティファーマシー協会」も、「薬狩り」に因んだ日を「コミュニティーファーマシーの日」に制定しました。地域の人々に薬の知識・病気の予防・健康情報などを伝えるのが目的です。

5月5日の出来事としては、以仁王が平氏追討の令旨を発する(1180年→治承4年4月9日)、モンゴル帝国クビライの皇帝(ハーン)即位(1260年)、ニューヨークにカーネギーホールが開場(1891年)、ロシア連邦の新聞『プラウダ』創刊(ユリウス暦1912年4月22日)などがあります。

ちなみに5月5日は「こどもの日」・「薬の日」の他に、「児童憲章制定記念日」・「メロンの日」・「わかめの日」・「自転車の日」・「おもちゃの日」・「子供に本を贈る日」・「ボーイズデー」・「レゴの日」・「フットサルの日」・「手話記念日」・「ジャグラーの日」・「ノーレジの日」などに設定されています。

【大岡越前の日】この日、町奉行に就任して「越前守」となった!

2月3日は特別な暦日である「雑節(ざっせつ)」の「節分(せつぶん/せちぶん・2017年)」であり、「大岡越前の日」でもあります。享保(きょうほう)2年2月3日(1717年3月15日)、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)が南町奉行に就任したのです。

時代劇のヒーロー的存在として、水戸黄門や遠山の金さんと並んで有名な大岡越前は、江戸時代中期の幕臣で大名でした。

延宝(えんぽう)5年(1677年)、千七百石の旗本である大岡忠吉(ただよし)家第3代当主の大岡忠高(ただたか)の四男として江戸で誕生します。そして、同族の大岡忠世(ただよ)家第2代当主・大岡忠真(ただざね)の娘と婚約し、養子となります。

貞享(じょうきょう)3年(1686年)5代将軍の徳川綱吉に初御目見えするものの、元禄(げんろく)9年(1696年)には従弟の大岡忠英(ただふさ)の事件に連座して、家の門扉と窓を閉ざし昼夜の出入りを禁じられる閉門処置となってしまいます。

翌年には閉門処置を赦され、元禄13年(1700年)に養父の病死を受けて大岡忠世家第3代当主となります。

幕府での役職は、元禄15年(1702年)に書院番(しょいんばん)、宝永(ほうえい)元年(1704年)に徒頭(かちがしら)、同4年に使番(つかいばん)と歴任します。そして、宝永5年ついにその後の名奉行にも通じる役職で、旗本・御家人の監視や諸役人の勤怠等政務全般を監察する目付(めつけ)に就任するのです。

将軍が6代家宣(いえのぶ)に替わり、正徳(しょうとく)2年1月11日(1712年2月17日)に伊勢神宮の守護や鳥羽港の警備などを行なう山田(やまだ/ようだ)奉行に就任し、初めて”奉行”の呼び名を得ます。この役職は、享保元年2月11日(1716年3月4日)まで続けられました。

忠相が山田奉行であった頃、奉行の支配する幕領と御三家の紀州徳川家領の間にはしばしば係争がおこっていました。山田(現・伊勢市)と松坂(現・松阪市)の境界訴訟の際、忠相は前例に左右されることなく、公正な裁きを行なったと言う後代の逸話があります。

忠相は山田奉行に就任した年に位階(国家制度に基づく個人の序列)である従五位下(じゅごいげ)能登守(のとのかみ)に叙任し、近代で言えば貴族に相当する地位の最下層に達しました。越前守として知られる忠相ですが、この時はまだ能登守だったのです。

7代将軍・家継(いえつぐ)の時代、山田奉行の後は普請奉行となって、江戸の土木工事や屋敷割を指揮します。そして、享保元年8月に紀州藩の吉宗(よしむね)が8代将軍に就任すると、享保の改革という幕政改革が始ります。

享保2年2月3日、吉宗は紀州藩時代に目を付けていたと思われる忠相を、江戸の行政と司法を担当する江戸町奉行にします。忠相が町奉行となった頃、江戸町奉行所には南町・北町・中町の3ヶ所設置されていました。

忠相が南町、北町は中山時春、中町が坪内定鑑(さだかね)でしたが、中町奉行の定鑑の名乗りが能登守と忠相と同じであったため、この時に忠相は名乗りを越前守と改めたのです。

2月3日の出来事としては、慶長地震(1605年→慶長9年12月16日)、アメリカの独立(1783年)、ジョン万次郎の帰国(1851年→嘉永4年1月3日)、ベトナム共産党の創設(1930年)、札幌オリンピックの開幕(1972年)などがあります。

ちなみに2月3日は「節分(2017年)」・「大岡越前の日」の他に、「のり巻きの日」・「大豆の日」などに設定されています。

【羊肉の日】ジンギスカン普及の為の語呂合わせ(ヨーニク)

4月29日は以前は「国民の祝日」の「昭和の日」であった他、「羊肉の日」でもあります。「羊肉の日」はジンギスカン普及の為、「ジンギスカン食普及拡大促進協議会」が羊肉(ヨーニク)の語呂合わせで作りました。

羊肉の呼び名は、生後12ヶ月以下程度のものを「ラム(仔羊)」、それより年取ったものを「マトン」といいます。厳密には、永久門歯の無いものが「ラム」、雌か去勢済みの雄で永久門歯が2本以上あるものを「マトン」と呼ぶのです。

「ジンギスカン」という呼び名は、モンゴル帝国の初代皇帝チンギス・カン(ジンギスカン)の逸話や、北海道を通ってモンゴルに逃げジンギスカンになったという源義経の伝説を基にしたとも言われています。

大正14年(1924年)、北海道での綿羊飼育は明治時代から肉用されていたことから、全国の4割を超えるまでとなっていました。

大正15年(1925年)、主婦の友社の『素人の出来る支那料理』という本に、初めて「成吉思汗(じんぎすかん)鍋」という言葉が登場します。これは支那(シナ・中国などの通史的呼称)に住む日本人が命名したものでした。

昭和11年(1936年)、東京都杉並区にジンギスカン専門店の第1号「成吉思荘」が開店します。北海道での最初の店は札幌の「精養軒」で、昭和21年(1946年)のことでした。

平成15年(2003年)11月18日、北海道のジンギスカンとそのタレのメーカー、ジンギスカン料理店・羊肉卸業者・肉屋・酒造業などが、ジンギスカンと羊肉を普及拡大するために、「ジンギスカン食普及拡大促進協議会」が発足しました。

平成16年(2004年)3月23日、羊肉(ヨーニク)の語呂合わせとした4月29日を「羊肉の日」とすることが、「日本記念日協会」によって認定されます。4月27日、「羊肉の日」の記者発表が行われ、会の目的である道民・道外へのジンギスカンと羊肉の普及拡大が進められたのです。

10月22日には、ジンギスカンが「北海道遺産」に選定され、翌年2月7日にはさっぽろ雪まつりの会場で、「ジンギスカン新聞」が発行されます。

平成17年(2005年)9月16日~19日、会の発足した札幌の「羊ヶ丘レストラン」で「ジンギスカンサミット」が開催されました。16日は前夜祭と観光大使との交流会、17日はジンギスカン・フォーラムとジンギスカン普及宣言、そして19日までジンギスカンの食べ比べなどが行われたのです。

平成18年(2007年)12月18日、ジンギスカン鍋は農林水産省主催の「農山漁村の郷土料理百選」において、北海道の郷土料理として選出されます。

4月29日の出来事としては、カスティーリャ王国によるカナリア諸島グラン・カナリア島の占領(1483年)、キャプテン・クックによるオーストラリアのイギリス領有宣言(1770年)、植村直己の単身犬ぞりによる北極点到達(1978年)などがあります。

ちなみに4月29日は「昭和の日」・「羊肉の日」の他に、「畳の日」・「エメラルドの日」・「木造住宅の日」・「WorldDanceDay化学兵器による全ての犠牲者を追悼する日」・「肉の日」などに設定されています。

【ウィキペディアの日】この日、世界的ネット百科事典は公開された!

1月15日は以前は「国民の祝日」の「成人の日」であった他、「ウィキペディアの日」でもあります。2001年1月15日、世界の各言語で展開されるインターネット百科事典の「ウィキペディア」が公開されました。

「ウィキペディア」の前身に、ウェブ上のインターネット百科事典プロジェクトの「ヌーペディア」というものがありました。「ヌーペディア」という名称は、「エンサイクロペディア(百科事典)」とリチャード・ストールマン(アメリカのプログラマー)が始めたフリーソフトウェアプロジェクト「グヌー(GNU)」というふたつの言葉に由来しています。

1996年、誰でも読めるインターネット百科事典の構想を描いていたジミー・ウェールズ(現ウィキメディア財団名誉理事長)は、インターネット企業「ボミス(Bomis)」を創業しました。

1999年秋、ウェールズはボランティアによるインターネット百科事典を思いつきます。そして、2000年3月にウェールズは「ヌーペディア」を創設し、27本の項目数(8月8日時点)を持ち、9月で休止しました。

2001年1月2日、コンピュータープログラマの古い友人ベン・コヴィッツと話していた中で、ウェールズは「ウィキペディア」の着想を得たと言われています。この時コヴィッツが「ヌーペディア」の問題に対して、「ウィキ」の仕組みを説明したのでした。

この「ウィキ」というのは、ウェブブラウザを利用したウェブサーバ上のハーパーテキスト文書を書き換えるシステムの一種で、ハワイ語の「ウィキウィキ(速い)」が由来となっています。

当初このプロジェクトは、「ウィキ」のウェブページを「ヌーペディア」に利用するというものでしたが、「ヌーペディア」の執筆者と査読者の強硬な反対に遭います。結局、新たなプロジェクトとして「ウィキペディア」と名付けられ、独自のURLアドレス(wikipedia.com)で開始されることとなったのです。

一番最初の記事は、英語のアルファベット「U」に関するもので、アルファベットの起源とその歴史について説明したものでした。英語版の「ウィキペディア」には、最初の記事として記念ページが作られています。

2003年1月15日には、「ウィキペディア」誕生2周年として、ウィキペディアン(各国語のウィキペディア参加者)が「ウィキペディアの日」を祝って、英語版メインページのデザインを新装しました。

「成人の日」の基となった「元服」の儀式は男子の場合、大体数え年の12~16才頃に執り行われます。「ウィキペディア」も公開されてからの期間がこの時期を過ぎる頃となり、大人の域に入っています。

また1月15日は、平重衡らによる南都焼討(1181年→旧暦:治承4年12月28日)、コロンブスが最初の航海でイスパニョーラ島を出航(1493年)、イングランドのエリザベス1世が戴冠(1559年)、チャイコフスキーの『眠れる森の美女』の初演などが行われています。

ちなみに1月15日は旧「成人の日」・「ウィキペディアの日」の他に、「半襟の日」・「いい碁の日」・「アダルトの日」・「青少年育成の日」・「ひよこの日」・「お菓子の日」・「中華の日」・「惣菜の日」・「レンタルビデオの日」・「いちごの日」・「商工会の日」・「警視庁創立の日」などに設定されています。

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【LPレコードの日】この日、日本初のLPレコードが発売された!

3月20日は「国民の祝日」の「春分の日(2017年)」である他、「LPレコードの日」でもあります。昭和26年(1951年)3月20日、日本初のLPレコードが日本コロムビアから発売されました。

そもそも「レコード」というものに今ではあまり馴染みがないかもしれませんが、かつては音楽や音声などの音響記録を刻み込んで記録した樹脂などの円盤で、CD(コンパクトディスク)に先立つメディアの一種です。「音盤」或いは、ディジタル方式のCDと区別して「アナログレコード」・「アナログディスク(AD)」とも呼びます。

1857年、フランスのレオン・スコットが「フォノトグラフ」という世界初の音声記録システムを発明しました。しかし、このシステムでは記録した音を再生する機能が無く、単に記録した音の振幅具合を波形の強弱で表わすというものだったのです。

1876年、グレアム・ベルが電話機を発明したことから音響記録の再生に目途がつき、多くの研究者が再生可能なレコードの発明を目指します。

1877年12月6日、かの発明王エジソンがついに再生可能なレコード「フォノグラフ」を生み出します。この時の「レコード」は直径8センチの錫箔を貼った真鍮の円筒で、盲人の補助機器として考案されたのでした。

同年、ドイツ系アメリカ人発明家エミール・ベルリナーは、現在の円盤型メディア(CD・DVD・BD)に繋がる円盤式の再生可能なレコード「グラモフォン」を発明します。そして1885年、完全に実用化された「グラフォフォン」となって、「レコード」を始めとする円盤型メディアの歴史が花開いたのです。

明治12年(1879年)3月28日、イギリス人ユーイングが自作の「フォノグラフ」を、東京商法会議所で公開します。そして、明治22年(1889年)には、鹿鳴館において「グラフォフォン」が公開されます。

明治29年(1896年)、レコードを再生する装置「蓄音機」が商品としてアメリカから輸入されます。そして、明治32年(1899年)には、日本最初の蓄音機専門店「三光堂」が、浅草区内に開業しました。

明治36年(1903年)、日本初のレコード(この時の呼び名は「平円盤」)がコロンビア社から輸入販売されます。そして、明治41年(1908年)には、「平円盤」を「レコード」に改称して、初めて「レコード」という呼称が使われたのです。

1948年(昭和23年)6月21日、アメリカのコロムビア社が初めてレコードを市販します。この時のレコードは、直径30センチで30分録音でき、それまでのレコードに比べて格段に長い再生時間であったため、「LP(Long Play)レコード」と呼ばれることになりました。

昭和26年(1951年)3月20日、日本コロムビアが日本で初めて「LPレコード」を発売しました。このレコードは輸入物で、その呼び名は「長時間レコード」というものだったのです。

3月20日の出来事としては、源義経が活躍した一ノ谷の戦い(1184年→元暦元年2月7日)、オランダの東インド会社設立(1602年)、赤穂浪士切腹(1703年→元禄16年2月4日)、ナポレオンの百日天下の始まり(1815年)、上野動物園の開園(1882年)などがあります。

ちなみに3月20日は「春分の日」・「LPレコードの日」の他に、「電卓の日」・「国際幸福デー」・「遊園地の日(西日本)(第3日曜)」・「頭髪の日」・「鉄道電車バスの日」・「マイカーチェックデー」・「ワインの日」・「馬に親しむ日」・「あゆの日」・「家庭の日」などに設定されています。

【スナックの日】夏至を祝った習慣がお菓子の記念日になった!

6月21日は「二十四節気」の「夏至(2017年)」である他、「スナックの日」でもあります。夏至のお祝いで、「カクショ」というお菓子などを食べる「歯固め」という習慣から、お菓子の記念日になったのです。

「夏至」の日は、北半球では最も昼の時間が長くなり、年によって変動はありますが大体6月21日頃にあたります。豊作を祈願して、新小麦を使って焼餅を作って神様に供えるという風習があります。

「歯固め」とは、主に一年の始りの「元日」に歯の根を固めて、一年間健康に過ごそうと祈念することで、固い食べ物を食べる行事です。その食べ物は、栗・カヤ・大根・串柿・カブ・スルメ・昆布などです。

東日本では、6月1日にも「歯固め」を行なう所があり、この行事のために正月の餅を干して固く保存しておくと言います。中には、夏至のお祝いとして「角黍(かくしょ)=粽(ちまき)」や固くなった正月の餅を食べる所もあります。

「スナックの日」は、この夏至の「歯固め」に由来しており、スナック菓子メーカーが始めたとされています。スナック菓子と言えばチップ・フライ・パフなどですが、どれもそれほど固い食べ物ではないので、「歯固め」の風習というよりは焼餅を神様に供える風習に近いと思います。

「チップ」は、最もポピュラーなスナック菓子と言えるでしょう。原料を薄く揚げたもので、チップと言えばジャガイモのポテトチップが真っ先に頭に浮かぶところですが、サツマイモやトウモロコシを使ったものもあります。

「フライ」は、原料を比較的厚めに切って揚げたり、原料の粉を湯に溶いて発酵させたものを揚げたりしたもので、どちらかと言うとこのタイプが「歯固め」の食べ物に近いかもしれません。

「パフ」は、焼成する時に空気を入れて独特の食感を持たせたもので、トウモロコシを使ったコーンパフが最も一般的でしょう。「パフ」とは「膨れる」という意味で、駄菓子では「ポン菓子」・「ドン菓子」などとも言います。

「スナック菓子」は塩分・脂肪・カロリーが高く、その他の栄養価が少ないという問題があります。お菓子の業界ではこの対策として、減塩・ノンフライ製法・低カロリーのこめ油の採用などで対処していますが、食べる方としてもその量を抑えるなどの調整が必要です。

6月21日の出来事としては、応仁の乱勃発(1467年→応仁元年5月20日)、本能寺の変(1582年→天正10年6月2日)、アイヌ民族の一斉蜂起(シャクシャインの戦い・1669年→寛文9年6月4日)、アメリカがハワイ共和国を併合(1898年)、清国で義和団の乱勃発(1900年)などがあります。

ちなみに6月21日は「夏至(2017年)」・「スナックの日」の他に、「健康住宅の日」・「難民の日」・「ペパーミントデー」・「世界音楽の日」・「ヨガの国際デー」・「ふれ愛交番の日」・「漬物の日」・「キャンドルナイトの日」・「冷蔵庫の日(夏至)」・「がん支え合いの日」などに設定されています。

【鉄腕アトムの日】この日、日本初の国産テレビアニメは放送された!

1月1日は「国民の祝日」の「元日」である他、「鉄腕アトムの日」でもあります。昭和38年(1963年)1月1日、日本初の国産テレビアニメである「鉄腕アトム」のテレビ放送が開始されたのです。

フジテレビ系列での放送で、全193話を昭和41年(1966年)12月31日まで続きました。第1話のタイトルは「アトム誕生」で、主人公のロボット・アトムの誕生が描かれています。

アトムを生み出したのは天馬午太郎(てんまうまたろう)博士で、幼くして事故で亡くなった息子・飛雄(とびお)に似せてロボット・トビオとして制作しました。しかし、トビオが人間のように成長しないことに気づいてしまった天馬博士は、彼をサーカスに売り払い、そこでトビオはアトムと名付けられます。

「鉄腕アトム」の世界には「ロボット法」という法律があり、ロボットに人間に準じた権利と地位を保証することと、ロボットが守るべき義務を定めています。この法律では、感情を持つロボットに対して人間と同等な暮らしを保証しているのです。

天馬博士の練馬大学時代の学友で科学省長官のお茶の水博士(御茶ノ水博志)は、アトムの可能性に着目していました。「ロボット法」が制定されたのきっかけに、お茶の水博士はアトムを引き取ることにしたのでした。

アトムを引き取ってロボットの家族まで与えます。パパはエタノール、ママはリン、妹はウラン、兄はコバルト、ウランの弟としてチータンという家族です。

アトムには7つの威力があるという設定があり、原作漫画・テレビアニメ(3作)では微妙に違っていますが、「10万馬力」のパワーというのがここで出てくるのです。但し、映画ATOM版では単に「ずばぬけたパワー」となっています。

他の6つの威力はテレビアニメ第1作では、”どんな計算も1秒でできる電子頭脳”・”60か国語を話せる人工声帯”・”普通の千倍も聞こえる聴力”・”サーチライトの目”・”足のジェットエンジン”・”お尻からマシンガン”というものです。

テレビアニメ第1作ではアトムは2003年4月7日に生まれたとされていて、現実世界では4月4日にSARS(重症急性呼吸器症候群)が新感染症に指定されたり、4月14日に国際ヒトゲノム(ヒトの遺伝情報の1セット)計画によって全解読作業を完了した頃です。

実は原作漫画の初期はアトムの誕生日を2013年としていたのですが、現実世界の科学の進歩が早まったせいか、2003年へと10年も前倒しされたのです。その後、テレビアニメ第2作(日本テレビ・1980年10月1日~1981年12月23日)になると、今度は2030年へと先延ばしとなりました。

ちなみにテレビアニメ第3作(フジテレビ系列・2003年4月6日~2004年3月28日)は、第1作の時の誕生日を記念して放送開始日が設定されています。

また、現実世界の1月1日の「鉄腕アトムの日」には、中華民国(台湾)開国(1912年)、キューバ解放(1959年)、スーダン独立(1956年)、ハイチ独立(1804年)、ブルネイ独立(1956年)などの世界的に大きな動きがありました。

ちなみに1月1日は「元日」・「鉄腕アトムの日」の他に、「地球の家族の日」・「省エネの日」・「安全衛生総点検日」・「家庭塗料の日」・「世界平和の日」・「パブリックドメインの日」などに設定されています。

【万歳三唱の日】この日、大日本帝国憲法の発布が祝われた!

2月11日は「国民の祝日」の「建国記念の日」である他、「万歳三唱の日」でもあります。明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法が発布されたの祝って、明治天皇に対して万歳三唱しました。

日本国民統合の象徴としての初代天皇・神武(じんむ)が即位し、「建国記念の日」となっている2月11日に、実質的なアジア初の近代憲法とされる大日本帝国憲法が第122代天皇・明治の治世で発布されたことは、何か因縁みたいなものを感じます。

この日は、新しい日本が建国されたとも言えるのではないでしょうか。そのため、明治天皇に対して歓呼する言葉の無かった日本においては、何か素晴らしい喜びを表す表現が必要だったのです。

イギリスには、一般的に国歌扱いの「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン(女王陛下万歳/神よ女王を護り賜え)」という賛歌があります。国王が男王となれば、クイーン(女王)がキング(国王)となって、曲名と歌詞が変わるのです。

フランスには「ヴィヴ・ラ・フランス(フランス万歳)」、イタリアでは「ヴィヴァ・イタリア(イタリア万歳)」、悪名高きナチス時代のドイツでは「ハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)」や「ジーク・ハイル(勝利万歳)」など、日本語に「万歳」と訳される表現が広くヨーロッパに見られます。

アジアの漢字圏においても、元々は中国の「千秋万歳(せんしゅうばんぜい)」と言って、皇帝の寿命が非常に長い年月(千秋)一万年(万歳)も続くことを表わした言葉からきています。現代中国語では「ワンスイ/ワンソェー」、韓国・北朝鮮では「マンセー/マンセ」、日本では「ばんざい/ばんぜい」と読みます。

日本の「万歳」の歴史は、平安時代に生まれた雅楽(日本の伝統音楽)まで遡れます。雅楽の曲に「万歳楽(まんざいらく)」というものがあり、これは君主の長久を祝うものでした。ちなみに、今では歌舞伎・大相撲から始まり、広く演劇・興行でも使われるようになった「千秋楽(せんしゅうらく)」も同じような祝言の意味があります。

「万歳楽」はやがて芸能の「萬歳(まんざい)」となり、演芸・話芸の「漫才(まんざい)」に繋がっていきます。そして、江戸時代の浄瑠璃(じょうるり)の曲の中には、「…、へへ萬歳、萬歳萬歳萬歳、萬歳楽で御喜びだ、…」という”まんざい”を連呼するセリフがあったのです。

東京帝国大学の学生が明治天皇を奉送迎しようと、それまでの最敬礼だけでは物足りないので、何か歓呼の言葉を挙げようということになり、教授の和田垣謙三が「万歳、万歳、万々歳」という「万歳三唱」を考え出したのです。

明治22年2月11日、いよいよ明治天皇が臨時観兵式のため青山練兵場へ馬車で向かってやってきます。学生たちがまず一声高らかに「万歳」と叫ぶと、驚いた馬車馬が立ち止まってしまいました。

そのため、第二声の「万歳」は小声となってしまい、最後の「万々歳」は言えずに祝賀の発生は終わってしまったのです。これを聞いていた他の観衆は、学生たちが「万歳」を3回歓呼したものと思い込み、以後祝賀の歓呼は「万歳」だけとなり、「万々歳」は使われることはなくなりました。

2月11日の出来事としては、伝承として初代天皇の神武即位(前660年→神武元年1月1日)、ノルウェーの独立(1814年)、エチオピア皇帝テオドロス2世の即位(1855年)、「ロボット」という言葉を生んだ戯曲『R.U.R.』原作のテレビドラマの放送(1938年)などがあります。

ちなみに2月11日は「建国記念の日」・「万歳三唱の日」の他に、「わんこそば記念日」・「麺の日」・「文化勲章制定記念日」などに設定されています。

【ゴミの日】綺麗に「護美」とも言われる語呂合わせ(53)

5月3日は「国民の祝日」の「憲法記念日」である他、「ゴミの日」でもあります。「ゴミの日」は語呂合わせ(5月3日→53→ゴミ)から作られ、綺麗に「護美」とも表現されることもあります。

5月3日を「ゴミの日」ではなく、「護美の日(美しさを守る日)」としてゴミ拾いの活動を推進している団体に、「100万人のゴミ拾い実行委員会」というものがあります。

平成19年(2007年)、活動は全国27ヶ所で4百人以上が参加しました。平成20年(2008年)は50ヶ所以上で千五百人以上の参加、平成21年(2009年)は百ヶ所以上で1万5千人以上の参加、平成22年(2010年)は5百ヶ所以上で10万人以上の参加と、着実にその規模を大きくしています。

悲しいことに、平成23年(2011年)は3月11日の震災被災地支援のため参加者の集計は行われず、活動場所も全国27ヶ所へと減ってしまいました。しかし、この活動は平成27年(2015年)からは公式サービス「PIRIKA(ピリカ)」を通じて行われるようになり、活動の規模は拡大しています。

SNS「ピリカ」は、世界78ヶ国で利用され、これまで拾われたゴミの数は7千万個以上にもなると言います。「ピリカ」ではグループでの清掃・美化活動を見える化して、3百以上の企業・団体・自治体に利用されているのです。

企業・団体版「ピリカ」を導入している所には、「味の素」・「サークルKサンクス」・「東急電鉄」・「フジテレビジョン」・「NTTドコモ」・「greenbird」・「青年海外協力隊」・「福井県」・「大阪府」・「富山市」などがあります。

自治体・地域版「ピリカ」を導入している所には、「福井県 安全環境部 環境政策課」・「横浜市 資源循環局 業務課」・「岡山県 環境文化部 循環型社会推進課」などがあります。

「ピリカ」関連以外の活動として、一般財団法人「日本そうじ協会」では、5月3日を語呂合わせの「ゴミ」と「護美」から「そうじの日」に制定しています。ゴミを減らして環境の美しさを護ることを目的として、5月3日に掃除することを呼びかけ、環境整備の技術力向上や「掃除道」の普及促進もおこなっています。

また、香川県高松市に本社のある、一般廃棄物・産業廃棄物の回収・食品リサイクルなど事業展開している「株式会社MCS」は、5月3日を語呂合わせの「ゴミ」から「ゴミ片付けの日」に制定しました。年末の大掃除から半年近い時期に、1年の折り返しの意味で身の回りをきれいにしようというものです。

5月3日の出来事としては、ポーランド王国で5月3日憲法成立(1791年)、ナポレオンがエルバ島に転封(1814年)、江戸城の無血開城(1868年→明治元年4月11日)、ソ連軍の満州撤退完了(1946年)などがあります。

ちなみに5月3日は「憲法記念日」・「ゴミの日」の他に、「世界報道の自由の日」・「世界ぜんそくデー(第1火曜)」などに設定されています。