【スポーツ中継の日】「前畑がんばれ」という歴史的名放送が発端の日

8月11日は「国民の祝日」の「山の日」である他、「スポーツ中継の日」でもあります。昭和11年(1936年)8月11日、オリンピックの女子水泳で「前畑がんばれ」という歴史的名放送が発端となりました。

1936年(昭和11年)8月1日、ドイツのベルリンで第11回夏季オリンピック競技大会が始まりました。1916年(大正5年)に一度は予定されていたものの、第一次世界大戦の勃発によって中止されていたことへの20年ぶりのリベンジと言えます。

時代はヒトラー総統率いるナチス党の全盛期で、ユダヤ人迫害政策を推進し、反政府活動家に対する人権抑圧を行なう姿勢に対し、大会をボイコットしようする動きを見せる国もありました。この動きに対し、ヒトラーは差別発言を抑え、ナチス・ドイツの政策を一時的に変更して、どうにか開催に漕ぎつけたのです。

本大会では、当時まだ開発途上にあったテレビジョンによる試験中継が行われます。複数のカメラで会場の内外を結んで中継し、かなり本格的なものとなりました。

日本の報道では大阪毎日新聞と大阪朝日新聞の争いが激化し、国際電話取材や飛行機によるフィルム送付を行なった他、実験的にファクシミリ(当時は画像電送機)まで使用されたのです。

この時の生の報道は、NHKラジオによる中継でした。その放送担当者は、相撲実況でも評判になった山本照と、スポーツアナウンサーになりたくてNHKに入った河西三省(かさいさんせい)の二人です。

和歌山県出身の前畑秀子は、奈良県では吉野川と呼ばれる一級河川・紀ノ川で泳ぎをマスターし、尋常小学校5年生の時に女子50m平泳ぎで学童新記録を出すという、水泳の申し子のような存在でした。高等小学校2年生の時には、汎太平洋オリンピックの100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝しています。

昭和7年(1932年)、ドイツの全大会となるロサンゼルス・オリンピックで前畑は、200m平泳ぎでオーストラリアのクレア・デニスにわずか0.1秒という僅差で銀メダルに甘んじています。

ロス五輪の前年に両親共に亡くしていた前畑は引退も考えていましたが、祝賀会に来ていた東京市長・永田秀次郎の”金メダルを取らず無念”との思いの丈を聞かされ、現役続行に考えを改めるのでした。

昭和8年(1933年)9月30日、200m平泳ぎの世界新記録を出した前畑は、1日に2万メートルも泳ぐという猛練習のかいもあって、ついに2度目のオリンピック出場を決めます。

昭和11年(1936年)8月11日、ベルリン・オリンピックの女子200m平泳ぎ決勝の日です。午前0時のラジオ中継開始予定時刻になると、河西アナはまずラジオの”スイッチを切らないでください”と伝えました。

レースは前畑とドイツのマルタ・ゲネンゲルとの首位を争う凄絶なデッドヒートとなり、河西アナの実況は白熱していきます。”前畑、前畑がんばれ!がんばれ!…”と、”前畑”を16回、”がんばれ”を13回も叫び、3位以下の選手のことがまったく伝えられない変な実況となってしまったのでした。

8月11日の出来事としては、マヤ暦(長期暦)の初日(前3114年)、豊臣秀吉の四国平定完了(1585年→天正13年7月16日)、イギリスのアスコット競馬場初レース(1711年)、ドイツのワイマール憲章制定(1919年)などがあります。

ちなみに8月11日は「山の日」・「スポーツ中継の日」の他に、「がんばれの日」・「麺の日」・「きのこの山の日」などに設定されています。