【津軽弁の日】青森県が誇りとする”なまり”の詩人が亡くなった日

10月23日は「国民の祝日」の「秋分の日(2017年)」である他、「津軽弁の日」でもあります。昭和62年(1987年)10月23日、青森県が誇りとする”なまり”の詩人・高木恭造が亡くなりました。

この高木恭造の命日にあたる10月23日には、毎年青森市文化会館で「津軽弁」をテーマとした催し物が開催されています。「津軽弁の日やるべし会(標準語で実行委員会)」が主催し、初回は昭和63年(1988年)のことでした。

催し物への出演者は、会の代表でマルチタレントの伊奈かっぺい、ローカルタレントの野津こうへい、北野岸柳(川柳作家)・田中耕一(劇団「雪の会」役者)・青山良平(青森放送パーソナリティー)・鳴海征子(青森放送元アナウンサー)・山上進(津軽三味線奏者)・大友寿郎(青森放送特別顧問)などです。

出演者に青森放送の関係者が多くなっていますが、これは伊奈氏が元々青森放送の社員であったことからの人脈でしょう。過去に出演したことのある人には故・永六輔や故・牧良助(俳優・「だびよん劇場」オーナー)があり、平成9年(1997年)にはシンガーソングライターのさだまさしも出演したことがあります。

催し物の内容は、一般公募した津軽弁に関する短歌・俳句・川柳・体験記・詩の中の優秀作品を、出演者が朗読するというものです。その模様は後日青森放送のテレビ・ラジオで放送され、カセットテープやCDとして発売もされています。

「津軽弁」は共通語と大きく異なる発音で、独特の言い回しが多く、日本語を話す人でも難解な方言です。青森県津軽地方(県西部)で話され、南部地方(青森県東半分・岩手県北部と中部・秋田県北東部の一角)の南部方言と大きく二分されます。

高木恭造は明治36年(1903年)10月12日に青森県で生まれ、青森中学・弘前高校を経て青森日報社と出版社勤務の後、昭和8年(1933年)に満州医科大学医学部を卒業しています。

満州引き揚げ後は弘前で眼科を開業しながら、詩や小説を作り、日本各地で方言詩の朗読公演を行なう活動をしていました。代表作「まるめろ」はその津軽弁による朗読はもちろん作品としても高い評価を得て、翻訳されて海外にも広まっているのです。

優れた津軽弁による詩の数々は、伊奈かっぺいを始めとした多くの人々を魅了したのです。高木恭造が亡くなった昭和62年の翌年(1988年)、伊奈かっぺいと鹿内博(元青森市長)などが先になって、その命日を「津軽弁の日」と決めました。

10月23日の出来事としては、ローマ内戦のフィリッピの戦い(前42年)、大坂冬の陣に向け徳川秀忠が江戸城出発(1614年)、元禄への改元(1688年→元禄元年9月30日)、明治への改元(明治元年9月8日)などがあります。

ちなみに10月23日は「秋分の日(2017年)」・「津軽弁の日」の他に「二十四節気」の「霜降(そうこう・2017年)」・「電信電話記念日」・「ふみの日」・「歩民(府民)の日」・「踏切りの日」・「天ぷらの日」・「モルの日」などに設定されています。